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闘病生活を送っていたイタリアングレイハウンドの死

この記事の目次

肝機能障害で闘病生活を送っていた我が家のイタリアングレイハウンド。

13歳の誕生日を迎えたのも束の間、2週間後に天国へと旅立って行きました。イタリアングレイハウンドの寿命は一般的に12~15年程度。つまり、我が家のイタグレの死は一般的にみれば早すぎるというほどではありません。

しかし、飼い主にとっては早すぎる死でした。15才とまではいかなくても、14才までは生きていてほしかった、というのが正直な気持ちです。

血液検査の結果は改善していたのに…

肝機能障害を患っていたことから、毎日5種類の薬を朝晩服用していた我が家のイタリアングレイハウンド。それでも亡くなる5日前に受けた血液検査では、数値がのきなみ改善していました

ようやく薬の効果が見えはじめた!

食事療法も功を奏してきたようだし、もっとがんばれば、ひょっとして完治するのではないか。そんなふうに期待を抱きはじめた矢先、突然死に近い衝撃とともにイタグレは旅立っていったのです。

あの日の朝、珍しくお代わりをしたイタグレ

肝機能障害と診断されて以来、極度の偏食で私を悩ませたイタグレ。食べてほしいものはほとんど食べようとせず、四苦八苦の末に療法食団子を強制給餌する日々が続いていました。

しかし亡くなった日の朝は、珍しくダメもとで器に盛りつけた朝ごはんをペロリとたいらげたのです。

嬉しいやらびっくりするやらで、お代わりをよそってみたところ、なんとそれも完食!これは確実に体調が良くなってきている証拠だと安堵した、そのわずか4時間後

これまでに一度も聞いたことがないような甲高い悲鳴をイタグレがあげました。

あわてて様子を見に行くと、寝床に横たわったまま起き上がることができなくなっていたのです。

1時間もしないうちに息を引き取ってしまうなんて…

その時、時刻はお昼12時の5分前ぐらいだったでしょうか。かかりつけの動物病院は午前の診療受付が12時までです。

大あわてでイタグレを抱きかかえ、車に飛び乗りました。とはいえ、事故を起こしてしまったら元も子もありません。落ち着け、落ち着け、とつぶやきながら動物病院へと車を走らせました。

病院に到着すると、すぐに救命処置が始まりました。

実のところ、この時点では「イタグレが助からない」という最悪の結果は想定していなかったように思います。なぜなら5日前の血液検査で結果が改善していたこともありますが、なにより朝食をペロリとたいらげたからなんですね。

とはいえ、寝たきりになるかもしれない可能性は考えました。そのため、私の寝ている部屋にイタグレの寝床を用意しておくために、いったん自宅へと戻ったのです。

ところが、家に到着してベッドの用意をしていると、すぐに病院から電話がかかってきました。

もう、もたないと。

あわてて家を飛び出して病院に駆けつけると、私が到着する2分前に呼吸が止まったことを告げられたのです。

診察台の上に横たわったイタグレの体はまだ温かく、眠っているようにしか見えない穏やかな顔で目を閉じていました。 でも、二度と目を開けることはありません。

イタグレが悲鳴をあげて倒れてから、わずか54分後のことでした。

イタグレの死に対して覚悟ができていなかった

動かなくなったイタグレの体を家に連れて帰ってから、しばらくはただ呆然とすることしかできませんでした。あまりにも突然のことすぎて、泣くこともわめくこともできなかったのです。

何がいけなかったのだろう?

どうして突然死んでしまったのだろう?

ひたすら、そんなことばかりを考えていました。

肝機能障害を患っていたのだから、仕方がない。もう年齢も13才と充分に高齢だったのだから、仕方がない。そう考えて自分を納得させようとしても「なぜ?」「どうして?」という思いがどうしても消えないのです。

このとき、ようやく自覚しました。

私はイタリアングレイハウンドに関しては、闘病に執心するあまり、死という形で失う覚悟がまるでできていなかったのです。老犬と暮らしている以上、いつ別れがきてもいいように覚悟しておくべきだ、と頭では理解していたはずなのに。

まったくもって情けない限りです。

何度経験しても慣れることのない愛犬の死

イタグレの死から8ヶ月が過ぎて、ようやく文章にすることができました。

実はこれまでに何度か書こうとしたことはありますが、どうしても書けなかったのです。イタグレの死に関しては、これでもかというほどの後悔が残りました

中でも肝機能障害の完治を目指すあまり、食事に関してシビアになりすぎたことを今も強く悔やんでいます。今さらではありますが、イタグレが食べたがっていたもの――たとえば肉まんの皮や焼きいもなどの大好物を、もっとたくさん食べさせてあげればよかった

他のワンコ達のご飯を用意しながら、今だにそんなことばかりを考え続けています。

愛犬との別れは初めてではありません。しかし、つくづくこればかりは何度経験しても慣れないものだと思い知らされる毎日です。