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愛犬を失ってあいた心の穴は、いつか必ず懐かしい穴になる

この記事の目次

たかが、犬猫が死んだくらいで――。
まさかとは思っていましたが、先日、愛犬を失って悲しんでいる人の前で、このような心無い言葉を平気で口にする人と遭遇しました。

何かを考えることはその人の自由です。
たとえ、どんなに冷酷なことを考えたとしても、頭の中だけにとどめておけるなら、それはそれでいいのかもしれません。
しかし、口に出して言ってしまった瞬間から、話は別。
言葉が凶器そのものになってしまうことだってあるんですよね。
体に傷をつけることはなくても、心に深手を負わせる殺傷能力は威力充分。
それが、言葉という凶器ではないでしょうか。

悲しみを無理矢理乗り越えるのではなく、折り合いをつけていく

ペットに愛情を注いだことがない人には想像できないかもしれませんが、愛犬を失った人の心には、間違いなくぽっかりと穴が空いています。

心に穴があくほど寂しいなら、次の犬を飼えばいいじゃないか――。

こういった無神経な発言をする人が少なからずいるようですが、ある意味では、大きく外れていないのかもしれません。
こんなことを言うと、「愛犬が亡くなったばかりなのに次の犬を飼えだなんて、なんて冷たい人!」と非難されてしまいそうですが……。
誤解を恐れずに言ってしまいますが、筆者の経験上、犬であいた穴は犬でしか埋まらないんですよね。

ただし、亡くなった犬の穴に次の犬をすっぽりと当てはめる、という感覚とは違います。
たぶん、愛犬が亡くなったことであいてしまった心の穴を、すっかり元通りに埋めることはできません。
では、新たに迎えた犬がどうやって穴を埋めてくれるのかといえば、愛犬が亡くなったことで空いてしまった穴の、必要以上に広がり過ぎてしまった部分、とでも表現すればいいのでしょうか。
つまり、新たな犬を迎えることであまりにも大きくなり過ぎた穴を小さくすることができるけれど、亡くなった愛犬の穴そのものは塞がらない、という感じなんですよね。

ただし、それでいいのではないでしょうか。
亡くなった愛犬の穴は時間の経過とともに、懐かしい思い出の穴へと変化していきます。
つまり、愛犬を亡くした悲しみは無理矢理乗り越えたり忘れたりする必要はなく、時間をかけてゆっくりと折り合いをつけていけばいいのではないでしょうか。

ちなみに、筆者の心には亡くした愛犬の穴がポコポコと5つあいていますが、どれものぞきこめば、そのたびに涙が出ます。
しかし、悲しいから泣いてしまっているわけではありません。
懐かしさで涙が出るという感覚は、けっこう温かいものなんです。

次の犬を飼うことも飼わないことも、どちらも等しく正しい

愛犬が亡くなったあと、次の犬を飼うことに罪悪感を感じる飼い主さんがいます。
たとえば、新たな犬を飼うことで少しでも前を向くきっかけになるのだとしたら、その選択は絶対に間違っていません。
なぜなら、亡くなった愛犬が好きだったのは、飼い主さんが笑っている顔だったはず。
自分のことを思い出していつまでも悲しんでいる飼い主さんより、新たな犬を迎えてテンヤワンヤでバタバタしながらも、笑っている飼い主さんが好きなんです。

もちろん、愛犬を亡くしたら次の犬を飼うことだけが正解ではありません。
犬がいたからこそ、できなかったこと。
たとえば海外旅行に行く、夜遅くまで飲み会に参加する、庭にバラ園を作ってみる……。
そういった、今まで犬がいると難しかったことを始めることで、少しずつ生活のリズムを取り戻していけるとしたら、それはとても良い形で前を向き始めている証拠です。

それなのに、何をするにしても、愛犬を亡くした飼い主さんは、すべてにおいて罪悪感と結びつけてしまいがち。
しかし、そんな飼い主さんの心のありようを、誰よりも亡くなった愛犬が喜ばないことは間違いありません。
犬は私たち人間が考えている以上に、飼い主の楽しそうにしている顔が、なにより好きな生き物なんです。