亡くなった愛犬をきれいなうちに空へかえしたい
愛犬の死は、何度経験しても慣れるものではありません。
もしも慣れたことがあるとしたら――。
それは愛犬が死んでもつらくなくなったということではなく、たんに愛犬が死ぬということの物理的な意味を知る、ということでしょうか。
眠っているようにしか見えない体が遺体へと変化していく悲しみ
息を引き取った直後はまだ体が温かくて眠っているようにしか見えないのに、時間とともにその体はどんどん体温を失って冷たくなります。
皮膚は弾力を失い、よく頑張ったね、となでてやった額に指のあとがつき、生きているときのようには元には戻らなくなるんですよね。
そして亡くなった直後は四肢も首もシッポも、なにもかもがだらりと力なく垂れ下がるのです。
どこにも力が入っていない体は、こんなにも抱っこしづらいのかと驚愕させられてしまうんですよね。
ところがその体が死後硬直すると、今度は置物のように固まってしまいます。
死体が時間の経過とともに死後硬直することはわかっていても、実際に愛犬の体がカチンコチンに固まってしまった状態を前にすると、かなりうちのめされることになるでしょう。
それこそ物のように持ち上げることができるようになってしまった体が、死体という現実を突きつけてくるんですよね。
その時に感じる悲しみは、とうてい文字で表せるものではありません。
初めて愛犬を失った飼い主さんは、まるで眠っているような愛犬の死に顔を見ていると、そのままずっとそこに寝かせておきたくなるのではないでしょうか。
頭では理解していても、その寝顔はいつまでもそばにいてくれるような気がしてしまうんですよね。
しかし、剥製にしたりエンバーミング(遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法)でもしない限り、生命活動を停止した体をそのままにとどめておくことはできないのです。
一刻も早く荼毘にふしてあげたい理由
友人は、我が子のように可愛がっていた愛犬のゴールデンレトリーバーを、亡くなったその日のうちに火葬しました。
そのことについて知り合いが、「そんなに急がなくても、せめてお通夜をしてからにすればいいのに。私もお線香をあげさせてもらいたかった」と言ったのを聞いて、ああ、この人は愛犬の体が変化していく悲しみを知らないのだな、と思ったことをよく覚えています。
かつて、我が家で暮らしていた犬の1匹が真夏に旅立ったことがありました。
いまでこそ1年365日年中無休でペットの火葬ができるようになりましたが、その頃はまだそういう時代ではなく、折しもペットの火葬場の休日とがっつり重なってしまったんですね。
否応なしに火葬場が再開するまで、亡くなった犬の体を保持しなければいけなくなってしまったのです。
あいにく、ドライアイスを販売しているお店もお休みです。
そこで、亡くなった犬の体とその周辺に保冷剤をしきつめることで、なんとか愛犬の体が傷まないようにと努めました。
ところが、ハエの嗅覚は本当にあなどれません。
どこから死のにおいを嗅ぎつけるのか、いつの間にか愛犬の体にたかっていたのです。
必死になってハエを追い払い続けましたが、火葬する日の朝に愛犬の体を移動させようとしたところ、なんとウジがわいているではありませんか。
それを見た瞬間、気持ち悪いという感情より猛烈な怒りがわいてきて、1匹残らず駆除せずにはいられませんでした。
とはいえ、体内にはまだ残っていたかもしれません。
あの子を天に帰すというのに、ウジが一緒かもしれないと思うだけで悔しくてなりませんでした。
ある意味、動物の死体をウジが食べるということは、とても自然なことなのかもしれません。
しかし、愛犬を失った直後にそこまで達観した気持ちにはなれませんでした。
眠っている姿のまま空へかえしてやりたい
究極的なことを言ってしまうなら、小型犬サイズであれば家庭用冷蔵庫の冷凍室に入れるという方法で、遺体の鮮度を保つことは可能です。
もちろん、積極的にとりたい方法ではありません。(冷蔵庫に遺体を入れたくないからではなく、愛犬を凍らせたくないという心情面からですが)
しかし、我が家の場合は大型犬だったので、どうにもなりませんでした。
友人のゴールデンレトリーバーが亡くなったのも真夏です。
そして友人は、愛犬の遺体を新鮮なまま保てなかった私の悲しみをよく知っていました。
だからこそ、他人の目からはあわただしいように見えても、その日のうちに火葬を手配したのではないでしょうか。
お通夜をしたり、お別れの会を開いてから荼毘に付すのが悪いとはまったく思いません。
しかし、眠っているようにしか見えない姿のまま空にかえしてやりたい気持ちもまた、痛いほど理解できるのです。
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