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犬が咳をしている!考えられる病気とは?

この記事の目次

犬がコホコホと咳をしている――。
まず思い浮かぶのは、ケンネルコフ(伝染性気管支炎)などの、ウィルスや細菌による感染症ではないでしょうか。
これはおそらく、人間が咳をしている場合、まずは風邪ではないかと考える感覚からきているのでしょう。
そして、よほどゴホゴホと咳き込まないかぎりは、あまり深刻には考えませんよね。

しかし、愛犬が咳をしていたら、あまり軽く考えるべきではありません。
なぜなら犬が咳をしているとき、そこには重篤な病気が潜んでいる可能性があるからです。

咳は心臓疾患の典型的な症状の一つ

愛犬に心臓疾患がある場合、飼い主さんの多くは咳に敏感になります。
それは、咳をするようになったら症状が進んだサインであると、獣医師から聞かされるからです。

しかし、これまで愛犬は元気いっぱいで、心臓疾患どころか病気とは無縁の生活を送ってきたのだとしたら、なかなか咳と心臓疾患を結びつけては考えません。

しかし、僧帽弁閉鎖不全症はシニアの小型犬にはとても高い割合で発症する病気。
たとえ心臓病になりやすい犬種ではなくても、発症する可能性はどの犬にもあるのです。
そんな僧帽弁閉鎖不全症ですが、症状が悪化すると血液の流れが悪くなり、肺の中に血液の成分が漏れ出してしまうことがあります。
これがいわゆる心臓性の肺水腫で、咳をしたり呼吸が苦しくなる原因なんですね。

もしも愛犬が病気知らずだったとしても、シニア期を過ぎている場合は、コホコホと咳をしていたら迷わずかかりつけの動物病院で診察してもらうことをおすすめします。

心臓病という名前を聞くと、とんでもなく恐ろしい病気のようなイメージがありますよね。
しかし、早期に発見すれば投薬と、心臓に負担をかけない生活スタイルを心がけることで、今までとほとんど変わらない生活を送らせてあげることは充分に可能なんです。
とにもかくにも早期発見することが大事なので、兆候を見逃さないでください。

もちろん、僧帽弁閉鎖不全症以外の心臓疾患――拡張型心筋症や心室中隔欠損症などにおいても咳は症状悪化のサイン。

いずれにしても、咳をしている=呼吸が苦しいのかもしれない、という発想を常に持つことが、飼い主として必要なんですよね。

変な音がする咳をしている犬は気管虚脱かもしれない

気管虚脱という病名も、元気な犬の飼い主さんにとっては聞き慣れないものではないでしょうか。

犬の気管は、私たち人間のように食道と一部を共有していません。
鼻から吸い込んだ空気は気管を通って肺に入り、また気管を通って排出されていくのです。

気管虚脱とは、呼吸に必要不可欠な気管が押しつぶされたことにより、正しく空気が流れなくなった状態のこと。
呼吸はどんな動物にとっても命に直結していますが、人間のように汗で体温調節をすることが苦手な犬にとってはなおのこと重要なんです。
と言うのも、呼吸がしにくくなることは体に余計な負荷をかけることにつながりますし、熱中症などの危険性まで招いてしまう事態。
一刻も早く対処してあげないと、寿命を削りかねません。

気管虚脱になると、ガーガーとかゼーゼーという変な音の咳をします。
よく言われるのはガチョウの鳴き声のような咳、という表現でしょうか。
しかし同じ気管虚脱でも、その咳の音には個体差があり、ガハッガハッと何かが詰まってしまったような音をさせることもあれば、カッカッというような痰が絡んだときによく似た音をさせることもあります。

気管虚脱は高齢の犬に多くみられる疾患ですが、若い犬にも起こることも珍しくありません。
まだ年齢的に老犬ではないからといって、油断は大敵なんです。

しかも気管虚脱はチワワ、トイプードル、ポメラニアン、ヨーキーといった人気の小型犬種によく見られる病気。
飼育されている数が多いということは、他人事では済まされない病気ということです。

そして気管虚脱は残念ながらとても根治が難しい病気。
投薬や気管支拡張剤などを使う内科的な治療がほとんどですが、あまりにも重篤な場合は外科的な出術が選択されることもあるぐらいです。

たかが咳とあなどるべからず!

咳の原因がどんな病気であろうと、とにかく早期に発見して体調をコントロールしていくことがなによりも重要。
なぜなら生涯投薬が欠かせなくなったとしても、今までとほとんど変わらない生活を送らせてあげることが充分に可能だからです。

逆に言うなら、ちょっと咳をしているぐらいだから……と甘く考えてしまったことで病気の発見が遅れてしまえば、気がついたときには症状がかなり進んでいた、ということもありえるのです。
もしも愛犬が咳をしていたら、とにかく迷わずにかかりつけの動物病院を受診しましょう。
診察してもらった結果その原因が大したことではなかったら、病気でもないのに病院に行ってしまったと考えるのではなく、「なんて幸運だったのだろう!」と喜ぶべきです。